2017年11月17日金曜日

露の世は




“露の世は 露の世ながら さりながら”
小林一茶

朝露や夜露のように、
すぐに消え入ってしまう儚さこそが
世の習いであると知りつつも、
やはり、つらい別れにはいちいち心を痛めてしまう。

五十を過ぎて得た子供に
次々と先立たれてしまった一茶の、
やるせのない悲しみが
この句には滲んでいる。


祖父と愛犬、

僕にとっては絶対的な愛情と、優しさのシンボルとも言える
そんな二つの命が、続いてこの世を去っていった。

“露の世は 露の世ながら さりながら”

どちらも老境にあった身、
いずれ、もうじき と理解はしていたつもりだが、
やはりそれなりに寂しい。

はかない命を、俗に 露の命とも言う。

こぼれる涙を露と例えることもある。




仙人は露を飲んで暮らすと荘子の
『逍遥遊』にはある。

「逍遥遊」を訳すれば、「ぶらぶら歩き廻る遊び」だろうが、
ここでは何にも囚われない、自由な、
のびのびとした生き方を指すそうだ。

なにも仙人になりたいわけではない、

しかし、のびのびと生きるのが仙人であるならば、
それに倣うのも悪くない。

僕も露を飲んで生きていこう。

この世の露を飲み込みながら、
何にも囚われずに生きてみたいと、そう願う。

“星の別れ ほろりと露を こぼしけり ”
正岡子規

草木の露は儚くて、小さく、そしてまた美しい。
露の世もまた然りである。






























2017年11月15日水曜日

生活という海で






“生活というこの無辺際な、

雑多な漂流物にみちた、気まぐれな、
暴力的な、
 

そのくせいつも澄明な紺青をたたえた海”

        
三島由紀夫『愛の渇き』より



その海に磨かれながら

丸みを帯びる

僕らもまた漂流物の一片一片。

+(プラス)も(マイナス)もあるから面白い。

大きく笑うし、

たまに挫ける。






2017年11月14日火曜日

ワンジ/臨時休業




楽しかったかい?

そうか、僕もだよ。


幸せだったかい?

そうだといいな。


ワンジは、
世界で一番かわいい僕の弟。


君が居てくれて
本当によかった。


天国でもいっぱい駆け回るといい。

木の棒をかじるといい。

大きな穴を掘るといい。


いつかまたマッサージをしてあげよう。

いつかまた一緒に歩きたい。

その時はもうあまり面倒くさがらない。
約束する。


ただただありがとう。
愛させてくれてありがとう。


享年13歳。

イングリッシュ・コッカースパニエルと
アメリカン・コッカースパニエルのミックス犬は

世界で一番かわいい僕の弟。





ヒマダコーヒー
本日11/14は臨時休業を頂戴いたします。














2017年11月6日月曜日

八ヶ岳 - 恵施(けいし)とKC(ケーシー)



天は地と与(とも)に卑(なら)び
山は沢と与(とも)に平らかなり

古代 中国の思想家 
恵施(けいし)の言葉だそうです。

神とか宇宙とか、
そういう尺度で見れば、天と地に違いはなく、
山と沢の高低差だって、ぺっちゃんこに等しいのだと、
そういうことでしょうか。

11/1~2の定休日。

急きょ思い立ち、
1泊2日で山登りに行ってまいりました。

深まる八ヶ岳。

キャンプ泊での登山は実に2年ぶりになります。

久しぶりの山麓に心が弾むも、
体はそうはいきません。

ザックの重さだけでなく、
日頃の運動不足やら歳やらもが背中に覆いかぶさってくるのです。

登り道でゼイゼイ喘ぎながら、
ふと、恵施の言葉を思い出しました。

天は地とともにならび、
山は沢とともに平らかなりね。

どこが?

少なくとも僕にとって天は高く、
山は屹立としてそびえ立ち、
とてもじゃないが平らかではありません。





皆は僕のことをKC(ケーシー)と呼びます。
本名の啓介が転じたあだ名なのですが、
無論、恵施(けいし)とは縁もなければゆかりもありません。

八ヶ岳の標高は3000m足らず
無窮の空に比すれば低い低い。

そこでこんなにも息を切らしているのですから
似ているのは名前くらいのものです。





諸子百家の思想家、恵施(けいし)。
なんでも彼は立派な人物で、魏の国の大臣も勤めたそうです。

彼のような境地に到れば、
山と沢は平たくなって、
登山ももっと楽になるのかもしれません。

けれども、僕にとって山は山。
厳しく、急峻で、そしてなにより愉快なものです。

今はまだ、
この喘ぎを楽しんでいたい、
息切れしつつ、そうも思うのでした。

山が山であることが
こんなにも素晴らしく感じられるのですから。

偉い思想家にはなれそうもありません。
山と沢とが平らになって、
天と地とが均しくなったら面白くありませんもの。
凡俗に生きてまいりましょう。

骨休めに行ったのか
疲れに行ったのか分からぬ休みではありましたが、
久しぶりの山登り。

自分が好きなことが再確認できた
楽しく有意義な山行でありました。

悟りや真理には至りませんが、
大切なことにならチョっと、気付くことが出来たようです。




テントやら寝袋やらを詰め込んで

山の秋は深い。
道はところどころ凍結し、つららが実る。
日が傾けば気温は氷点下に。



切り立つ峰もよいけれど、
やはり苔と樺の林はこころが和む。


天と地、山と沢
だからいいんじゃない。